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御文章(御文)

御文章(御文)

kindle版電子書籍
価格 250円(税込み)
ファイルサイズ : 8656KB
発行 2022年6月

 

浄土真宗を大宗派に育てた
蓮如上人の手紙

 

はじめに

 衰亡著しかった本願寺を、一代で戦国大名に伍するほどの力を持つ大教団に育て上げたのは、八世の蓮如(一四一五~一四九九年)である。彼は手紙形式の法話を考案し、これを「御文章(御文)」と呼んで門徒との通信手段とし、おおいに活用した。これは一種の情報戦略であり、現代のIT革命のような効果をもたらしたと考えられる。
 当時、各地の郷村では「惣」という自治組織が発達していた。蓮如は惣を利用して「講」という集まりを作り、道場とした。そして、それを構成する幹部の坊主(道場主)と年寄りと長(長老)とをパイプで結んで組織化した。
 たとえ農家や商家などの俗人の家でも、講に名号本尊を与えればそこはりっぱな道場となり、各地方の幹部に「御文章(御文)」を配布すれば、彼らが集まった門徒たちにそれを読み聞かせ、法話をした。こうして各講の結束は強まり、講は各地方に広まっていったのである。
 蓮如自身はこの文書を「おふみ」と呼んだようだが、時代が下って浄土真宗本願寺派(西本願寺)では「御文章」と呼び、真宗大谷派(東本願寺)では「御文」と呼ぶようになった。
 真偽のわからないものも含めて二百二十一通あるといわれ、このうちの八十通をまとめて『帖内御文章(御文)』、それ以外を『帖外御文章(御文)』と呼んでいる。大永元年(一五二一)、蓮如の孫の円如によってまとめられたという。ここでは『浄土真宗日常勤行聖典』に採られている代表的な御文章を紹介したほか、当時の蓮如が置かれた状況を反映する一通を取りあげた。それには題がないので仮に「三か条の戒め」とした。
 蓮如と門徒たちとの交流の息吹を感じ取っていただければ幸いである。

 

【御文章(御文)】もくじ
はじめに

末代無智章
八万の法蔵章
信心獲得章
聖人一流章
白骨章
三か条の戒め

蓮如「信仰と戦い」