説明
【著】
王泰平 (わん たいへい)
【目次】
王泰平大使が著作、日本の進路を問う
序に代えて 周恩来の日本留学と日本観形成
第一部 復交前、駐日記者に対する周総理の指示
藤山愛一郎「日中国交回復促進議員連盟」会長にインタビュー
忘れがたい周総理の会見
朝鮮代表団に周総理の指示伝達
招待者に関する周総理の指示
中曽根康弘に周総理からの伝言
「取材妨害事件」処理に関する周総理の指示
木村俊夫が記者に面会を求める…「辞退」口上に周総理自ら加筆
「佐藤後」の政局を睨む
第二部 周総理と覚書貿易責任者
周総理と松村謙三
周総理の弔問外交――王国権が命を受け松村葬儀に参列
周総理の対日民間外交の傑作
周総理と高碕達之助
周総理と岡崎嘉平太
周総理と古井喜実
第三部 佐藤政権下の秘密外交攻勢
田川誠一が王国権に書簡
保利茂への態度から見た周総理の人柄
保利茂自民党幹事長、中国記者と極秘会見
中曽根秘書談 佐藤の内閣改造と中曽根の抱負
中曽根秘書談 ニクソン訪中公告発表後の日本政局
中曽根が周総理に書簡
白土吾夫が来訪し中曽根訪中希望と語る
橋本課長の訪中模索
佐藤の香港での接触攻勢、壁にぶつかる
佐藤が久野忠治を通して探り
佐藤が白土吾夫に再三橋渡し求める
大平正芳が中国と初の接触
福田赳夫も探りを入れた
第一部 復交前、周総理が賓客と集中的に会見
古井、周総理が「うまくリードした」と称賛
勢いに因りて利導し、水到りて渠成る
周総理、藤山愛一郎と会見
周総理、三木武夫と長談義
周総理、日本の高度成長の弊害指摘
周総理、三木武夫と再度会見
周総理が公明党代表団に田中角栄への伝言
周総理、古井喜実と会見
周総理、佐々木と二回会い田中訪中を促す
周総理、竹入義勝と三度会見 日本側に委曲尽くす
周総理、日中友好人士と会見 忍耐強くきめ細かい働きかけ
周総理、川崎秀二と会見 的を射た働きかけ
周総理、文化人と会見 復交後民間外交の重要性語る
周総理、日本の財界人と会見
周総理、田中密使の古井喜実と会見
周総理、自民党訪中団と三度会見
周総理、深夜に古井と会見 共同声明で見解表明
第二部 時機を逃さず、国交回復を強く促す
周総理が演出したバレエ外交の神通力
周総理が孫平化に伝言 田中訪中強く促す
田中が表に出て孫肖と会い、早期訪中を決めたと言明
周総理の高度の政治判断 バレエ団が上海へ直行
我を忘れ、昼夜働く
情勢に遅れるな 周総理、各部署に督促
復交交渉に備える 周総理、二グループの設立指示
田中一行接遇参加のため帰国した筆者の見聞
第三部 周総理と中日国交回復交渉
中日関係正常化の国際的背景
日中が日本の内政問題に
田中が情報発信 周総理、迅速に対応
田中訪中 周総理、自ら出迎え
周総理が巧みな采配 家庭的雰囲気
第一回首脳会談
周総理が歓迎宴
第二回首脳会談
第三回首脳会談
毛主席、田中首相と会見 周総理が国賓館まで迎えに
第四回首脳会談
田中首相主催答礼宴での周総理
中日共同声明に調印、関係正常化が実現
周総理、田中を上海に案内
田中、上海を発つ 堂々の帰還
千古の遺憾 田中再度訪日招請も周総理果たせず
[おわりに]中日復交交渉:周恩来外交の「教典」
訳者後記
【著者略歴】
1941年6月、中国遼寧省丹東市生まれ。1960年、外交学院入学。1962年、北京外国語大学転入。1965年、同卒業。同年3月に就職して以来、外交部事務官、『北京日報』駐日特派員、国際問題専門誌『世界知識』副編集長、国際問題総合誌『世界博覧』編集長、中日大使館政務参事官、外交部政策研究局副局長を歴任。
また、札幌・福岡・大阪の中国総領事や、外交部大使、財団法人日中友好会館中国代表常任理事を務める。2007年、退職。現在、中日友好21世紀委員会中国側副秘書長、中日韓経済発展協会会長、中日関係史学会副会長などを務める。